「岩瀬家」のあるこの五箇山は、幾重もの山に取り囲まれた谷間にあり、およそ800年前に源平の戦いに敗れた平家の
落人が逃げのびて来た所といわれている。岩瀬家は約300年前に、8年もの歳月を費やして建てられたもので、当時、
加賀藩の塩硝を取りまとめ納入する上煮役の藤井長右エ門が、天領飛騨白川郷へ、加賀百万石の威光を示したものだとも
言われています(35人の家族や使用人が生活、大きさ、構造、仕上げなど合掌造り民家としてもっとも発達した後期形
式が特徴)。総体は、間口十四・五間(26.4m)奥行七間(12.7m)高さ八間(14.4m)もあり、大黒柱などは一
尺(30cm)角の欅を又二四畳敷の出居の敷板にもすべて欅材が使われ、釘等の金属は一切使わず、縄とねそで結び上
げて造られている。五箇山は大自然の優しさよりむしろ厳しさの多い地です。人々は、その厳しさに寄り添うように生活
してきた。その象徴が合掌造りといわれる家屋で、手を合わせたような急勾配の屋根の形は、豪雪地帯のこの地で雪を落
としやすくし、屋内を幾階にもわけて活用するためです。岩瀬家は準五階建て、三から五階は養蚕の作業場となっていま
す。また、下階の炉から暖をとり、風通しをよくするため上階の床板は透かしの目皿になっています。岩瀬家ご当主より
合掌造り家屋の中では一番大きい建物(日本一)である。又、柱材・敷板等欅材を使っている等の説明を聞かせて頂きま
した。岩瀬家の隣には行徳寺があります。約500年前、蓮如上人の高弟で五箇山の妙好人とあがめられる赤尾道宗が開
いた真宗の古刹。大きな笠をかぶったような茅葺きの楼門が秘境の山寺といった風情を感じさせる。岩瀬家は富山県南砺
市西赤尾町(東海北陸自動車道五箇山インターより10分位)にあります。
「村上家」五箇山は合掌造りと民謡の故郷として有名です。村上家は合掌造りの代表的建造物として、国の重要文化財に
指定されています。五箇山の中心に立地し、至近には牢小屋(加賀藩領流刑地の唯一の遺構)が見学できます。ご当主の分
かりやすい丁寧な説明と唄が聞ける。 高さ(10.96m)幅(10.74m)奥行(20.37m)の一重四階合掌正面切妻
入茅葺きの住宅で天正年間(1573から1591年)に建てられた。合掌の部分には、かすがいなどの金属は一切使わず
に建てられている。加賀藩時代の主産業であった塩硝製造の製造用具や和紙製造等の民俗資料数千点が陳列されている。
「こきりこ」は七寸五分の竹と、ササラを用いて、唄い踊ります。田楽の流れを汲む最古の民謡といわれています。ささ
らは特大(12600円)大(7350円)中(3150円)小(1890円)で売店で販売されていました。写真では上から
特大・大・中・小となっています。
村上家から庄川に架かる大平橋を渡渡ると「羽馬家」があります。近くには有形民俗文化財「流刑小屋」があります。江
戸時代、思想的罪人が流された加賀前田藩の流刑小屋が復元されています。独特のたたずまいをかもし出す珍しい史跡で
す。昭和38年(1963年)の豪雪で倒壊したため、古文書を参考に復元されている。
最終撮影日・2013年8月29日
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