北陸の駅再取材更新を目的に石川線に乗車することにした。特に野町駅は2000年以来訪れていない。小杉からJRで行く場合は、新西金 沢からの乗車で、マイカーで行く場合は休日開放されている鶴来庁舎の駐車場を利用するので、野町と西泉は訪れる機会が無かった。 金沢へショッピングに行く娘の車に便乗して西インター大通り(県道25号線)白菊町付近にある金沢西茶屋街入口で下車した。西茶屋街を歩 いて野町駅前に出た。駅の西側に津田駒工業の本社工場がある。駅前にレトロな喫茶店と野町湯がある。野町湯の大きな煙突はホームからでも 目立つ。(野町湯は経営難から休業中だったが、訪れた頃は復活していたが、その後再び休業) 駅周辺を撮影後、窓口で金箔貼りの1日フリー乗車券を購入し、モハ7201+クハ7211の鶴来行きに乗車した。
次の目的地、額住宅前で下車した。ここでモハ7102+クハ7112の野町行きと行き違った。額新町には県営住宅、市営住宅が密集して 建っているので駅名が額住宅前となっている。殆どが線路の東側にあるが、西側にも大きな県営住宅79号棟と80号棟がある。 今まで駅の西側へは行ったことがなかったので乙丸駅側の焼き肉「たかちゃん」の踏切を渡り、西側からホームを撮影した。途中に児童公園 が有った。馬替駅側の踏切を渡って駅に戻りモハ7101+クハ7111の野町行きに乗り野々市工大前で下車した。
野々市工大前は片面ホームだが乗降客が多い。工大生が利用するのではなく、金沢工業大学系列の金沢工業高等専門学校の生徒が利用する。 駅周辺を撮影してから金沢工業大学が見える場所まで行ってみが、最も高い校舎の上部しか見えなかったので戻ってきた。 駅のある場所はかつて鎌倉幕府の守護富樫氏の館があった場所で「富樫館跡」の大きな石碑が立っている。富樫泰家は歌舞伎の演目『勧進帳』 の安宅の関関守・富樫左衛門のモデルとしても知られるが、判っていながら義経を見逃したとして頼朝により、守護職を解かれている。 フリー乗車券なので鶴来まで行こうかと思ったが15時になったし、鶴来へはよく行っているので戻ることにした。
鶴来行きを見送ってから暫くして額住宅前で行き違って到着した野町行きは額住宅前で下車したモハ7201+クハ7211だった。野町ま で行ってもう一度撮影。野町湯の煙突から黒い煙が上っていた。2000年に撮影した画像に比べ煙突が低くなっていた。フリー切符では連絡 バスに乗れないため、乗ってきた野々市工大前から乗ってきた列車の折り返しで、JRに乗るため新西金沢駅へ向かった。 JR西金沢駅は駅舎の上を北陸新幹線の金沢−白山車両基地間の高架が通るため、橋上駅化の工事が行われていた。西金沢駅で特急列車4本、 普通列車3本を40分間ほど撮影して521系モハ521−9+クハ520−9に1駅のみ乗車して金沢駅に到着、浅野川線の北鉄金沢駅に到 着したのは16時15分だった。 (モハ521−9+クハ520−9は2015年にあいの風とやま鉄道に譲渡)
浅野川線乗車の目的は2000年以来行っていない七ツ屋駅の再取材、歩いても行ける距離だがフリー乗車券があるので乗車することにした。 暫くして到着したモハ8903+モハ8913の折返し内灘行きに乗車し1分で下車した。 駅と駅周辺後、七ツ屋−北鉄金沢間を撮影するため、歩いて金沢駅へ戻ることにした。途中北陸本線の高架下に「金沢お忘れ物センター」が あった。浅野川線が地上から地下へ入る箇所や、北陸鉄道のバス車庫などを撮影しながら金沢駅に戻った。金沢駅でも何本か列車を撮影した後、 413系の17時38分発465M糸魚川行きで小杉駅へ18時26分に到着した。