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荻町合掌造り集落(天守閣展望台から) 画像クリック 1920X1080 |
荻町合掌造り集落(天守閣展望台から) 画像クリック 1920X1080 |
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荻町合掌造り集落(天守閣展望台から) |
荻町合掌造り集落(天守閣展望台から) |
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世界遺産・白川郷合掌造り集落石碑 |
物見櫓跡 |
写真撮影場所 |
荻町城跡案内板 |
展望公園から集落へ・当主記載建物 |
合掌造り家屋(山峡の家) |
合掌造 おやすみ処・いっぷくちな |
秋の白川郷荻町合掌造り集落 |
集落散策 |
荻町城跡(展望公園・右上家屋) |
集落散策 |
合掌造り家屋(民宿) |
田植えが終わった長瀬家前から神田家と落人 |
田植えが終わった明善寺前の水田 白川郷ぷりんの家(元山峡の家) |
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荻町合掌造り集落撮影スポット |
白川郷観光案内所 |
一級水系庄川に架かる「であい橋」 |
合掌造り家屋(民宿) |
公開合掌造り家屋・神田家 |
明善寺庫裡・岐阜県指定重要文化財 |
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明善寺鐘楼門(県指定重要文化財)左は明善寺のイチイ |
明善寺本堂(白川村指定重要文化財) |
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明善寺のイチイ(県の天然記念物) |
神田家(右側の家屋) |
掌造り民芸館・神田家案内表示 |
神田家庭園 |
長瀬家の合掌造り家屋 荻町
白川郷最大級の五階建て合掌づくり家屋。長瀬家五代目当主民之助が建造し、明治23年完成。約11メートルの一本柱(合掌柱)が、屋根の勾配 の上から下までを貫き、大きな屋根をつくる。柱材には樹齢150年以上の天然檜を用い、そのほか樹齢300を越える桂、栃、欅等が随所に使われ ている。 3年がかりの大工事で、総工費は当時の金額で八百円、その他米百俵、酒十一石八一斗を費やしたと伝えられている。 構造は、総床面積・約六百坪。1階は、主な生活の場。2階は使用人の寝所等。3、4階は、養蚕の作業場。5階は、薬草の干し場。 |
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白川郷最大級の合掌造り家屋・長瀬家 |
天守閣展望台から岩瀬家 |
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長瀬家2階より明善寺側を望む |
長瀬家1階展示品(薬箱等) |
長瀬家1階仏間 |
長瀬家1階居間 |
長瀬家屋根裏 |
白川郷最大級の合掌造り家屋・長瀬家説明板 |
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岩瀬家2階・生活用具等の展示 |
白山側の道路から岩瀬家 |
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和田家の合掌造り家屋 荻町 和田家は荻町合掌造り集落の代表的な民家で、国の重要文化財(主屋・土蔵・便所)に指定されている。白川村の合掌造り集落で最大の規模を誇る。 主屋は桁行22.3m(12間)梁間12.8m(7間)の平面をもつ一重三階の大型合掌造り民家であり両側と背面に庇が付属する。 和田家住宅は、合掌造り民家として最大級の規模をもつ質の高い建築であり、式台付きの玄関を備えるなど格式の高い造りとなっており、江戸初期 と見られる建築文化の粋を今日に偲ばせている。世界遺産白川郷の合掌造り集落を代表する民家。 和田家は天正元年(1573年)以来、代々弥右衛門の名を継ぎながら江戸時代には庄屋や番所役人を務めるとともに白川郷の重要な現金収入源で あった塩硝の取引によって栄えた。 |
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和田家合掌造り家屋(国指定重要文化財) |
山側の道路から和田家 |
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和田家住宅(重要文化財)説明板 |
和田家住宅(重要文化財)説明板 平面図 |
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和田家開館時間、入館料案内板 |
重要文化財和田家住宅 3月 |
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2階・黒光りの艶は何百年もの歳月と暮らしの重みを物語る |
和田家2階屋根裏 |
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和田家合掌造り家屋 |
和田家合掌造り家屋 |
道路沿いの和田家住宅案内板 |
和田家板蔵・稲架小屋 |
国指定重要文化財合掌造り和田家 |
和田家居間 |
オクノデイ(和田家客室) |
和田家所蔵の漆器類説明板 |
2階屋根裏と展示品 |
2階屋根裏と展示品 |
2階屋根裏と展示品 |
漆器類展示の一部 |
2階屋根裏と展示品 |
天井 |
黒光りする屋根裏の艶 3階立入禁止 |
和田家前の池 |
道の駅白川郷案内板 |
合掌造り家屋・道の駅白川郷 |
併設の合掌ミュージアム |
であい橋付近の河原から庄川 |
村営駐車場と荻町を結ぶ であい橋 |
村営駐車場観光バスゾーン |
村営駐車場の合掌造り総合案内所 |
北陸新幹線新高岡行き世界遺産バス |
長瀬家の合掌造り家屋 御母衣 白川郷の代表的な合掌造りである遠山家は、かっての大家族制度を偲ばせる壮大な規模と、峡谷の緑濃い環境にしっくり調和する風格と美しさを誇 る。切り妻茅葺きの屋根、間口11間半(桁行22m)奥行き6間半(梁間13.3m)の大きな建物で、付属建物を入れると338u、アマは4層か らなり、高さは14.5mあります。1827年(文政10)頃の建造で、長い年月を経た年月の重みが黒光りする柱や梁、火天のすすの厚みに感じら れる。 1階は住居として、1層から3層は主に養蚕用に使用され、明治の中頃まで数十名の大家族が居住し、焔硝、生糸生産を中心に山国のきびしい生活 を送っていました。遠山家は、昭和43年(1968)春まで家族の住居に使用されていたが、以後村立の旧遠山家民俗館として公開されている。 住所は岐阜県大野郡白川村御母衣125。国道156号線を挟んで向かいに御母衣白山神社があり、裏を庄川が流れている。御母衣白山神社の本殿は国 道沿いから100段の石段を登った先に本殿があり、石段の途中から旧遠山家が見下ろせる。少し上流側に遠山酒店がある。近くには道の駅飛騨白山、 鳩谷ダム、御母衣ダム等がある。 鳩谷ダム上流の国道156号線沿いに帰雲城趾の碑がある。帰雲城(きうんじょう)は、内ヶ島氏の居城であったが1586年の天正地震による山崩 れのため、一瞬で城と城下町が全て埋没した。所用のため富山藩へ出かけていた4人のみ生き残ったと伝えられている。 |
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国指定重要文化財・旧遠山家民俗館 |
国指定重要文化財 旧遠山家民俗館の銘板 |
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旧遠山家の池、奥に納屋、右が母屋 |
黒光りの柱、梁の艶は歳月と暮らしの重みある。民具収蔵 |
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母屋の囲炉裏 |
民具収蔵 機織り機 |
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2階から駐車場 国道156号線を挟んで向かいに御母衣白山神社 |
駐車場から旧遠山家民俗館 赤っぽい石垣は御母衣ダムと同じ材質 |
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遠山酒店から奥に旧遠山家 |
道の駅飛騨白山 |
道の駅飛騨白山案内板 |
道の駅飛騨白山 |
御母衣白山神社本殿 |
大白川温泉しらみずの湯 |
御母衣ダム堰堤の石 |
関西電力鳩ヶ谷ダム |
御母衣白山神社本殿 |
大白川温泉しらみずの湯 |
御母衣ダム堰堤の石 |
関西電力鳩ヶ谷ダム |
国道156号線から御母衣ダム堰堤 |
御母衣ダム堰堤からダム湖 |
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帰雲城址の碑 崩壊跡が残る帰雲山が見える |
帰雲城址の観音像 |
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崩壊跡が残る帰雲山 |
帰り雲神社下の由来の碑 |
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次ページは冬の白川郷荻町合掌造り集落です。御母衣ダムは別途北陸道が渡った河川の庄川上流編(岐阜県)で詳細紹介しております。五箇山相倉合掌造り集落へ 資料 合掌造りについては地元発行の観光パンフレット、HP等。 |