松倉城(魚津市字城山3の2)は角川右岸の標高約430mの城山に築かれた城。西の守山城(高岡市)、増山城(砺波
市)と並び越中三大山城の一つと称される。鎌倉時代、当地に入部した椎名氏が次第に勢力を得て室町時代には新川郡の
守護代を務め、この城を本城とした。越中国内でも有数の要害であることから、南北朝時代には普門(井上)俊清や桃井
直常らがしばしば拠点として戦闘を繰り広げた。椎名氏は始め上杉謙信に属したが、武田信玄と結んで敵対したため、永
禄12年(1569)謙信に攻められ城を追われた。この後に上杉武将河田長親らが居城し、魚津城とともに上杉方の重
要拠点になった。松倉城自体の整備や周辺の支城群の構築も進められた。しかし、織田軍の猛攻により魚津城の没落が迫
った天正10年には城兵が越後へと引き揚げ、上杉時代にも終止符が打たれた。「越能賀三州志」によると、慶長の初め、
前田利家によって廃城となったという。現在でも、主郭を中心に多数の堀切の跡が残され、当時の面影を忍ぶことができ
る。麓(ふもと)の鹿熊には城下町が形成され屋敷や寺院も多く設けられた。別名を金山城と呼ぶのは、当地の山中に存
在した金山に由来するのであろう。又、近くには「角川ダム」があります。
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