十二町潟水郷公園は国指定天然記念物のオニバス、シーズンには白鳥が飛来。オニバスはスイレン科に属する1年草の
水草。発芽は5月上旬頃からで最初はヤジリ形の水中葉がでて、7月頃には直径1mを越える巨大な水上葉を数枚あらわ
す。葉の表裏・葉柄、果実の表面などに無数のトゲをつける。花期の8月上旬には水中からトゲのある長い柄をのばし、
先端に5センチ前後の赤紫色の花をつける。9月下旬には、鳥のくちばし状をした果実がわれて種子が水面に浮かび、2
〜3日後には沈んで次の発芽にそなえる。
朝日山公園のふもとにある上日寺は、ごんごん祭りで有名な真言宗の古刹。境内、創建時に植えられたと伝えられる国指
定史跡のイチョウの巨樹がある。雌株で、樹齢も古く、樹高約24m、目通し幹廻り12m。雌株では日本一の幹廻りを
誇っている。雄株も含めたイチョウ全体では全国7位(全国の国指定イチョウ27件の一木)です。氷見市長坂の県指定
天然記念物のタブノキは推定樹齢が500年という県内最大の巨樹で、樹高12m、幹廻り6m91cm。クスニキ科の
常緑高木で標準和名タブノキを一般にはイヌクスと呼んでいる。県指定天然記念物の長坂不動の大つばきはヤブツバキで
暖地性常緑広葉樹、花は赤色の五弁花である。11月から翌年5月まで咲き続け、特に、花が多く咲く時期が三度もある
ので、三度咲きのつばきといわれる。樹齢約400年の巨樹で、目通し幹廻り1.95m、樹高は約11mである。
十二町潟水郷公園のオニバスの池で栽培されているオニバス。直径1.5m位(目測)の葉が池いっぱいに広がっており見
ごろ(2010年8月15日)。

十二町潟水郷公園(イベント納涼大会) 十二町潟水郷公園のあじさい 十二町潟水郷公園のオニバスの池
1.5m前後のオニバスの葉がいっぱい(2010年8月15日) 国指定天然記念物の十二町潟オニバス発生地表示板
オニバス池のオニバス(2010年8月15日) オニバス池のオニバス(2010年8月15日)
オニバス池のオニバス(2010年8月15日) オニバス池のオニバス(2010年8月15日)
オニバス池のオニバス(6月) オニバス池のオニバス(7月) オニバス池のオニバス(8月上旬)
白君子小蓮 金輪蓮
十二町潟水郷公園・菖蒲園(2010年6月下旬) 十二町潟水郷公園・菖蒲園(2010年6月下旬)
氷見市長坂の県指定天然記念物大タブノキ 県指定天然記念物大タブノキ(目通し幹廻り・6.91m)
上日寺のイチョウの巨木(目通し幹廻り12m) 長坂不動の大つばき(目通し幹廻り1.95m、樹齢約400年)
長坂棚田石碑 氷見市長坂の棚田 朝日山公園からの比美乃江大橋



左右2本のツバキの内、大きい方が指定となっている。ヤブツバキで、幹廻り3.47m、樹高6.6m、枝張りは、東
西約8m、南北約11mの広がりがあり、その面積は約50平方メートル(約15坪)を占める。樹齢は500年以上と推定
される日本でも屈指の巨樹で、3月中旬から4月中旬にかけて紅赤の花を枝いっぱいにつける。落ちた花で周囲が紅いじ
ゅーたんを敷きつめたようになっている様は格別である。地上八十センチから太い三本の幹に分かれ、さらに伸びた枝が
複雑に絡み合うその形状は異様で、「刺股の椿」の別名がある。その昔、飢饉に苦しむ民のため城主に直訴した家老が怒
りを買い、一族の男子が刺股処刑された。飯原家から娘が嫁いでいたが、夫の非業で死の悲しみのうち亡くなり、娘の墓
標の代わりにこのツバキが植えられたという伝説がある(説明表示板より)。

老谷の大椿(2010年3月27日撮影) 老谷の大椿・富山県指定文化財(天然記念物)
老谷の大椿(全景) 地面に落ちた紅赤の花
2本の椿のあと一本の椿(幹部分) 老谷の大椿(幹部分) 老谷の大つばき標柱



氷見市街地の北端、海に突き出た独立丘陵上に築かれた戦国時代の城。高さは40m程度だが、三方を断崖で守られた要
害だった。能登と氷見を結ぶ街道を押さえるとともに、富山湾の海上交通の掌握をも目的とした。
天正年間(1573から92年)には菊池氏が居城した。はじめ上杉謙信に従ったが、のちには織田信長、佐々成政に属
した。成政が前田利家と戦うと、ひそかに前田氏に通じ成政と敵対した。成政降伏後、居城とともに1万石を前田氏から
安堵されている。江戸時代の古城に関する書上申帳などによると、城は本丸、二の丸、三の丸の3郭からなり、本丸には矢倉
があったという。廃城は慶長年間(1596から1615年)であろう。

阿尾城趾を望む 阿尾城趾緑地総合案内(表示板より)
伝本丸趾・憩いの広場・展望台 伝二の丸 神興舎資料館
白峰社 白峰社本殿跡石碑 阿尾城趾入り口・阿尾城址石碑



高岡市の二上万葉ライン(二上山・標高は274m)は山並みを巡る約8kmのドライブウエイからは、晴れた日には富
山湾、立山連峰、能登半島までの大パノラマを楽しむことができます。越中の国守としてやってきた大伴家持は、奈良の
二上山(にじょうさん)と同じ名の山が国庁のすぐ近くにあるのに感激して二上山(ふたがみやま)を特別の思いをもっ
て歌に詠んでいます。越中平野を一望(小矢部川の蛇行、高岡市内、富山湾、氷見海岸等)できる城山は、高岡を開いた
加賀藩二代藩主前田利長の居城跡でした。

守山城址(2010年12月) 大伴家持像 平和の鐘(重さ11トンの大梵鐘)
石垣跡 平和観音像・城山に建つ高さ13mの像 城山から小矢部川の蛇行を望む

                                                               
歴史街道 旧北陸道メインページヘ

資料
雨晴海岸・氷見海岸の景観・地元発行パンプレット・HP及び案内表示板より
富山大百科事典       1994年(平成6年)初版発行  発行所 北日本新聞社