岩瀬家のある五箇山は、幾重もの山に取り囲まれた谷間にあり、およそ800年前に源平の戦いに敗れた平家の落人が逃
げのびて来た所ともいわれている。その中で岩瀬家は約300年前に、8年もの歳月を費やして建てられたもので、当時
加賀藩の塩硝を取りまとめ納入する上煮役の藤井長右エ門が、天領飛騨白川郷へ、加賀百万石の威光を示したものだとも
言われています。
岩瀬家の総体は間口14.5間、奥行七間、高さ8間もあり、大黒柱などは1尺角の欅を、また、二十四畳敷の出居の敷板
にもすべて欅材が使われ、しかも釘を一切使わず、縄とねそで結び上げて造られている。江戸時代には、五箇山は塩硝製
造や和紙造りを主要産業としていた。

2015年1月5日の撮影画像追加


国指定重要文化財岩瀬家(2015年1月5日)

行徳寺(2015年1月5日)
岩瀬家(2012年1月12日) 岩瀬家(2011年1月18日) 岩瀬家(2015年1月5日)
行徳寺(指定文化財・山門及び庫裡)
行徳寺庭園(2015年1月5日)
行徳寺前から岩瀬家(1月16日)



国指定重要文化財村上家・高さ10.96m、奥行き20.37m、一重四階合掌正面切妻入茅葺きの住宅で天正年間(15
73〜1591年)に建てられたものです。合掌の部分には、かすがいなどの金属類は一切使わずに建てられている。古
風古式の遺構が昔のまま残り、国の重要文化財に指定されています。江戸時代には、五箇山は煙硝製造や和紙造りを主要
産業としていた。館内には、塩硝製造の資料や和紙造りの道具など民俗資料1000点余りが展示されています。


国指定重要文化財村上家(2015年1月5日)

五箇山合掌造り総合案内所(2013年1月16日)
村上家(2010年12月17日) 村上家(2011年1月18日) 村上家(2012年1月12日)
庄九郎(2011年1月18日)
庄九郎(2012年1月12日)
庄九郎(2015年1月5日)



羽馬家住宅・建築年代はつまびらかではないが、調査の結果では江戸時代中期以前のものとされている。明和6年(176
9)に、この田向集落は大半が焼失し四キロメートル下流の大島集落にあった古い合掌造りを買い求めて移住したと伝え
られている(説明表示板抜粋)。

国指定重要文化財羽馬家(2013年1月16日) 国指定重要文化財羽馬家(2013年1月16日)
羽馬家(2011年1月18日) 羽馬家(2011年1月18日) 羽馬家(2010年10月17日)
流刑小屋案内板・微かに流刑小屋 県指定有形文化財流刑小屋(3月8日) 左上微かに五箇山荘(1月16日)
道の駅たいら 道の駅たいら前の郷土館 道の駅たいら横の和紙創作体験館

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世界遺産五箇山合掌造り集落(春から秋)別途コーナーで紹介しております。

資料
合掌造りについては地元発行の観光パンフレット、南砺市HP。
富山大百科事典  1994年(平成6年)    初版発行 発行所 北日本新聞社
富山県の市町村合併(2004年11月)で、福光町・福野町・城端町・井波町・井口村・上平村・平村・利賀村は現在南砺市。

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