最終更新日:2026/05/04
最終取材日:2026/04/24

ふたつか
路線:JR西日本城端線
新高岡 ← 二塚 → 
所在地: 富山県高岡市二塚2209

二塚駅舎

停車中のキハ47-66+キハ47-1092高岡行き
 二塚駅は1899(明治32)年4月3日に中越鉄道の二塚駅として開
業し1902(明治35)年5月15日に廃止となったが、1914(大
正3)年2月20日に中越鉄道の二塚停留場として復活した。1957
(昭和32)年に砺波製紙(現:中越パルプ)二塚工場が操業を開始し、同
時に工場への専用線ができた。ホームは相対式で線番表示は無く、駅舎
側が城端方面、跨線橋を渡って反対側が高岡方面となっている。
 2015年9月30日に中越パルプ工業二塚事業所への貨物輸送が廃
止となり、JR貨物に駅業務を委託していた二塚駅は無人駅となった。
乗降客は少なく、城端線新高岡駅の開業で更に少なくなった。誰も利用
しない汲み取り式トイレが撤去され、トイレが新築されスロープも設け
られた。駅前に高岡市立二塚公民館と高岡市農協二塚支所がある。
 二塚駅は跨線橋を備えた立派な駅で、貨物駅の操作機器が設置された
駅務室の窓際に瓢箪が沢山吊してある。旅客列車用2線の他に貨物列車
用側線が2線ある。2026年3月14日に城端・氷見線がICOCA
エリアになり、駅舎にICOCA改札機が設置された。
 駅から約800mの所に、この地へ流刑後、殺された後醍醐天皇の皇
子の墓がある。 富山県で唯一の宮内庁が管轄する御陵募となっている。名越時有により恒性皇子が殺害された時、日野直通、勧修寺家重、近衛
宗康の3人の侍臣も殺害された。その首をさらした場所は、「三ケ首」
また、皇子を火葬した場所は「皇子三昧」(みこざんまい)と言われてい
る。三ケ首は高岡スポーツコア近くに、皇子三昧は林駅近くにあり石碑
が立っている。   

恒性王子の墓

中越パルプ工業二塚事業所

ホ−ムから新高岡駅方向

ホ−ムから林駅方向

城端方面ホームの駅名標

高岡方面ホームの駅名標

柱用駅名標シール

駅舎の国鉄時代の駅銘板

高岡方面ホームから城端方面ホーム

城端方面ホームから高岡方面ホーム

高岡駅側からホームと跨線橋

城端方面ホームの跨線橋階段

跨線橋から城端方面ホームの跨線橋階段

跨線橋通路

跨線橋から新高岡駅方向

跨線橋から林駅方向

高岡方面ホームの跨線橋階段

高岡方面ホーム待合室

高岡方面ホーム待合室内

跨城端方面ホームの案内放送装置

役務室のひょうたん

ホームから駅舎への入口

駅舎の通路側

駅舎待合室

駅舎かの時刻表

駅舎の運賃表

ディスプレー、運賃箱、ICOCA改札機

駅舎の列車運行情報ディスプレ

新築されたトイレ

林駅側から駅舎

ホームから林駅側の藤平蔵踏切とポイント

高岡市立二塚小学校

高岡市立二塚公民館

高岡市農協二塚支所

駅前から恒性王子の墓方向

 跨線橋通路から新高岡駅側の下島踏切

下島踏切から佐野方向

下島踏切から二塚方向

下島踏切から二上山

下島踏切付近の澤田家住宅主屋

下島踏切まで残っている中越パルプの引込線

恒性王子の墓の標柱

恒性王子の墓解説碑文 碑文拡大1920×1080

恒性王子の墓の宮内庁の注意書き

JR貨物の銘板がある駅舎  2001/05/06

下島踏切から二塚駅  2001/05/06

中越パルプ二塚工場へのコンテナ車 2001/05/06

到着するキハ40形高岡行き  2007/07/22

発車したキハ40形高岡行き  2007/07/22

発車したキハ40形高岡行き  2007/07/22

発車したキハ40系キハ47形高岡行き

発車したキハ40系キハ47形城端行き

発車したキハ40系キハ47形高岡行き