最終更新日:2024/06/04
最終取材日:2024/06/01

えっちゅうなかがわ
路線:JR西日本氷見線
能町 ← 越中中川 → 高岡
所在地:富山県高岡市中川1丁目2

越中中川駅舎

発車したキハ40-2083キハ40-2137高岡行き
 越中中川駅は1916(大正5)年4月に高岡中学校(現: 富山県立高岡
高校)
高岡工芸学校(現:富山県立高岡工芸高校)の学生の乗降のみの駅
として開設された。当時は高岡市ではなく、下関村中川だった。当時中
川付近の線路は藪の中を走り周りには湿地帯も見られた。その後192
4(大正13)年に高岡高等商業学校が開校され、藪は切り開かれ教員の
為の宿舎が作られた。
 高岡高等商業学校の校舎と宿舎はその後、富山大学工学部として使わ
れ、工学部が富山市五福町へ移転するまで残っていたが現在は取り壊さ
れ校舎跡には高岡高校が移転して建てられ、宿舎跡は雇用促進住宅が建
てられたほか、高岡文化会館のイベント開催時の臨時駐車場として使わ
れる。その後高岡東高校(現:荒井学園高岡向陵高校)、清光女子高校(現:
清光学園高岡龍谷高校)の各高校が開校され、今も乗降客の90%以上
が高校生である。もちろん氷見線では乗降客が最も多い。高岡向陵高校
までは距離があるため、現在は各方面からのスクールバスが運行されて
いる。
 1982(昭和57)年にJR関連会社への委託駅になり行き違い施設
も撤去されている。反対側ホーム跡は富山県高岡文化ホールの敷地の一
部となっているが線路跡は残っている。
 JR西日本は2001(平成13)年に越中中川駅の無人化を決定した
が、地域ではJR越中中川駅利用促進協議会を組織して切符等の販売と
駅の管理を行いながら、安全な地域づくりに努めることになった。
 定時制の志貴野高校がウイング・ウイング高岡に移転して利用者が減
少してJRからの乗車券等の販売委託手数料が減少し、市からの補助金
も年々減少して協議会の運営は厳しくなっている。
 無人化にするのなら、氷見側踏切り付近に出入り口を設ければ、高岡
高校、高岡向陵、高岡龍谷高校の3校への通学は便利になる。無人化に
なれば、通学時間帯は運転士や車掌での対応は困難になり、高岡駅から
の職員派遣が必要になる。自動券売機が設置されているが駅員配置時間
は「只今の時間帯は出札窓口で購入下さい」の貼り紙で硬貨投入口をふ
さいでいる。普通の運賃表の他に通学定期券の運賃表がこの駅独特。
 駅舎は2001年7月に高岡工芸高校デザイン科1年生20人の生徒
がペイントを行った。現在ペイントは2009年8月5日に描かれてい
る。駅の高岡寄りを県道44号線(旧国道8号・通称キュウハチ)が通っ
ており越中中川駅を発車した高岡行き列車は、すぐに県道の下を潜る。
かつてはホームから北陸本線まで見えたが現在はすっかり宅地化されて
いる。
 駅の向い側にある富山県高岡文化会館は歩行者は県道44号線から入
る事ができるが、駐車場は高岡高校側からしか入れない。その隣に社会
保険庁の高岡社会保険事務所がある。高岡側には地場建設会社の寺崎工
業本社がある。駅前広場と県道44号線の間に月極の駐車場があるが、
他の駅のようにパークアンドライド用ではなく、駐車場を確保できない
近所の人が利用している。

 この駅がなぜ、北陸の駅bPかと言うと、私にとって最も親しみのあ
る駅だからである。私は1947年生まれで、堺屋太一さんの言う団塊
の世代で、1983年に小杉町(現射水市)へ来る前は越中中川駅近くに
住んでいた。物心ついた頃から汽車を見て育ったので、これが鉄道好き
になった原因かもしれない。
 小学生の頃はほとんどの列車がC11形蒸気機関車が4〜5両のオハ
31型の旧型客車を引いて走っていた。北陸本線はオハ60型やナハ1
0型が使用されていた。
 当時、中川には鮮魚店が無く(現在も無くなったが)氷見から氷見線を
利用して多くの魚行商の人がやって来た。後にその内の1人が中川バス
停近くに鮮魚店を開店した。
 越中中川駅は相対式ホームで、駅舎側が氷見方面、構内踏切りを渡っ

て富山大学工学部のグランド側が高岡方面だった。
 現在の他駅の構内踏切のような警報機や遮断機が無く、駅員が監視し
ていた。駅には4、5人の駅員が配置されていて、駅舎側ホームにポイ
ント切り替え用の転轍機を収納した小屋があった。駅員がこれを操作す
るとポイント付近に設置されていた腕木式信号機も連動して変わった。
写真の線路跡からも判るが越中中川の複線区間は長大貨物列車どうしが
行き違いできるように非常に長かった。
 ポイントを点検に行った駅員さんが用水で溺れた子どもを発見して祖
母が助けたこともあった。
 貨物列車は能町駅や伏木駅近くの化学工場や製紙工場への専用貨車が
ほとんどで深夜にも走っていた。貨物列車は輸入テンダー機関車も使わ
れていた。

県道44号線からホーム

発車したキハ40-2083キハ40-2137高岡行き

高岡古城公園中の島

高岡市美術館

ホ−ムから高岡駅方向

ホ−ムから能町駅方向

高岡駅側の駅名標

氷見駅側の駅名標

ホームの柱用駅名標シール

氷見駅側からホーム

氷見駅側端からホーム

高岡駅側端からホーム

駅舎前の広いホーム

県道44号線氷見線跨線橋

県道44号線氷見線跨線橋から高岡駅側

県道44号線氷見線跨線橋から能町駅側

改札口前の列車接近警報器

ホームから改札口

窓口と改札口

改札口券売機

列車運行情報ディスプレー

改札口の時刻表

駅舎の待合室

駅舎入口

高岡市営自転車駐車場

自転車駐車場前のトイレ

県道44号線から駅前

駅から高校への通学路

富山県立高岡工芸高校

富山県立高岡高校

富山県高岡文化会館

高岡工芸高校青井記念館・美術館

高岡高校同窓会蛍雪館

高岡古城公園内高岡市立体育館

壁画ペイント前の駅舎  1998/09/27

改札口        1998/09/27

券売機      1998/09/27

駅前の駅周辺案内図     拡大

駅舎入口の銘板

駐車場入口の飲料自販機

県道44号線のガード 高岡駅方向

駅前から県道44号線方向

県道44号線沿いの高岡年金事務所

県道44号線から駅への階段

県道44号線を走る地鉄バス

県道44号線から高岡市民病院

駅前の鷹司町公民館

駅前の吉村接骨院

高岡古城公園中川駅付近

高岡文化会館からホーム

氷見駅側の越中中川踏切

越中中川踏切から越中中川駅方向

越中中川踏切から能町駅方向

高岡市役所

富山地方法務局高岡支局

浄土真宗本願寺派光慶寺

光慶寺隣の蕎麦店「竹の子」

キハ40形高岡行き    1998/10/03

キハ23形高岡行き    1999/06/12

キハ58系氷見行き     2000/10/07

能町行き貨物列車  2000/05/20

キハ58系氷見行き   1998/10/31

キハ58系高岡行き    1998/10/03

キハ58系高岡行き    2002/04/27

キハ52形高岡行     2002/05/03

C56 160高岡行き   2002/09/14

発車したキハ47形高岡行き  2007/07/21

発車したキハ47形高岡行き  2007/07/21

発車したキハ47形高岡行き  2003/04/13

発車したキハ40形高岡行き  2016/10/11

発車したキハ40形高岡行き  2016/10/11

到着するキハ40形氷見行き 2006/01/09