2021/12/18 更新
 万葉線は高岡駅前−六渡寺間の軌道線と六渡寺−越ノ潟間の鉄道線に分けられるが歴史的にも2つに分けることができる。鉄道線部分は、富山から北へ向かい四方(よかた)へ出て、富山湾沿いに西へ新湊までの軌道を敷設、沿線旅客および海産物、米穀等を輸送する目的で、1922(大正11)年12月26日に射水電気軌道鰍フ名称で、軌道法に基づく免許を取得した。1923 (大正12)年2月に越中電気軌道鰍ニして創立、1924(大正13)年10月12日に富山北口−四方間6.1kmが開通した。
 1926(大正15)年7月21日には富山北口−聯隊橋間(現富山大橋)と四方−打出浜間を延長。聯隊橋では富山市電(市営)に接続して郊外線的機能を伸ばし、打出浜には海水浴場を開いた。しかし業績は芳しくなく、地方鉄道補助法の適用を受けるべく1926年軌道を鉄道に変更し1927(昭和2)年2月をもって社名も越中鉄道(株)と改めた。
 1929(昭和4)年より打出浜より西の延長工事が少しずつ開通していき、1933(昭和8)年12月25日に聯隊橋(新富山)−新伏木口(現六渡寺)まで19.9kmが全通した。その後、富山県西海岸の基幹交通として活躍してきた。
 一方軌道区間は、戦時中伏木・新湊方面への工場従業員輸送のために、富山地方鉄道の手によって着工されたが開通したのは戦後の1948(昭和23)年である。この時開通したのは地鉄高岡−伏木港間7.3kmで高伏線と呼ばれていた。
 車輌は日立電鉄などから四輪単車を譲り受け使用した。戦後の物資が不足する時期だったのでレールは全国からかき集められ、外国製のレールも混じっていた。レールの高さも色々で枕木でレールの高さを調整した。
 さらに1951(昭和26)年に湶町(広小路)−米島口間が複線化されると同時に米島口−新湊間が開通し射水線と接続し、富山−高岡間が繋
がった。その後、1959(昭和34)年4月に加越能鉄道が地鉄高岡−新湊間を譲り受けた。同時に地鉄高岡を新高岡と改称し電停の位置も現在の場所に移動した。


港口切断前の越の潟−堀岡間を走るデ5010形2連

高岡市片原町で行き違い待ちをするデ5031

高岡駅前にあった新高岡駅

高伏線城光寺橋を走る新高岡行き

庄川橋梁を渡る5010形

坂下町を走るデ5031

坂下町を走る地鉄バスとデ5003とトヨペットクラウンタクシー

高伏線の城光寺橋を渡るデ5024伏木港行き

 1966(昭和41)年、富山新港の築港のため富山地方鉄道射水線の越ノ潟−堀岡間が切断されることになりこの間はフェリーで連絡する事になった。高岡側に残る射水線の越ノ潟−新湊間4.9kmは加越能鉄道に譲渡され新湊線となった。 昭和40年代後半になるとモータリゼーションの影響が大きくなり、全国各地で地方鉄道・軌道が廃止されていった。高岡軌道線のうち、伏木線と呼んでいた米島口−伏木港間2.9kmも道路交通の邪魔という理由で廃止された。廃止は1971(昭和46)年8月31日。
 さらに射水線は港口切断の影響もあって切断直後の1967(昭和42)年には一日の平均輸送人員が9600人であったが1970(昭和45)年には7500人となり営業係数も210となり、富山地方鉄道は射水線の廃止を決定したが、猛烈な反対運動が起こり、国、県、富山市、新湊市の欠損補助を受け運行されたが、輸送人員が増えることもなく、遂に1980(昭和55)年3月31日に廃止となった。


加越能鉄道へ譲渡 行き違い可能だった新高岡駅  1960

伏木港線の矢田電停で行き違うデ7053とデ5024

JR氷見線伏木駅前にあった伏木線の終点伏木港駅

射水線は通勤・通学時間帯4連で走った
写真提供 鉄道友の会 小倉氏  富山レールクラブ 大橋氏、草島氏
    

 加越能鉄道に残った区間も状況は同じであったが、国、県、高岡市、新湊市の欠損補助を受け、加越能鉄道の経営努力もあって存続した。1993(平成5)年国が全国の私鉄に行っていた欠損補助の対象を10社から5社へ変更したが加越能鉄道は5社に残った。その後1995年に欠損補助が打ちきりとなり、存廃の危機となったが富山県、高岡市、新湊市の欠損補助により運行が続けられたが、欠損補助による運行のため十分な保全ができず設備が老朽化し、加越能鉄道は現状での存続は困難としてバス代替を打ち出した。
 この時から万葉線存続問題が発生し、が、存続への賛否両論が飛び交ったが、市民団体RACDA高岡の活動もあって存続することに決まり2002(平成14)年3月31日をもって加越能鉄道での営業はは廃止となり、4月1日より第3セクターの万葉線株式会社が経営を引き継いだ。


越ノ潟駅に到着するデ7052高岡駅前行き   1998/08/29

加越能鉄道荻布車庫   1999/04/11

米島口に到着するデ7061高岡駅前行き   2002/03/02

高岡駅前を発車したデ7061加越能鉄道最終列車  2002/03/31

庄川橋梁を渡るデ7073越ノ潟行き   2002/04/06

庄川橋梁を渡るデ7061越ノ潟行き   2002/04/06

 2002年4月1日から第3セクター万葉線株式会社に引き継がれたが、欠損補助による運行のため十分な保全ができず設備が老朽化していた。一番問題となっていた路盤の改良工事から始められ、劣化が著しい広小路−米島口間から開始された。
 車両は7070形のみを残し廃車されることになり、2003年12月には冷房付きの新型低床車両MLRV1000形が入線し、新しい時代の幕開けとなった。MLRV1000形は2004年、2006年、2007年にも1両ずつ導入され、2009年に2両が導入されて6両となった。これにより、7051、7052、7053、7061、7062、7072の6両が廃車となった。7070形も2両が冷房化改造され、万葉線の冷房化が完了した。7072はアニマル電車だったため、アニマル電車は冷房化改造された7073に引き継がれた。
 安全島が狭くて危険な電停の改良工事は2004年12月に、信号場と電停の分離が行われた本丸会館前から始められ、2010年12月の米島口を最後に完了したが、道路が狭く安全島を設置できない、片原町、新吉久、吉久の3駅が残っている。電停の上屋、手摺りなどは以前からバス停を手がけていた三協アルミ製となっている。新吉久の新湊方面の改良が2017年7月に完成したが、7年経過しておりデザインが異なる。
 鉄道線区間(新湊港線)の駅舎の改良工事も庄川口駅から開始したが、板壁は庄川口だけで、以後はモルタル壁となった。2019年の越ノ潟駅を最後に完了した。
 2012年9月にMLRV1005がドラえもんトラムとして登場、2代目がMLRV1002、3代目がMLRV1004、4代目がMLRV10
03となっている。2021年に7075が冷房化改造され、MLRV1005とMLRV1006が全面広告のラッピング車となった。
 2018年に新湊港線から引退後、除雪車として活躍していた5022が(株)高岡衛生公社に買い取られ元の姿に復元されて、新吉久駅前の同社リサイクルセンターの敷地内に展示保存されている。


江尻電停付近の路盤改良工事  2002/07/20

路盤改良工事が完了した広小路電停  2002/12/22

MLRV1001試乗会電車米島口行き    2004/01/17

MLRV1006積降ろし作業    2009/03/23

冷房化改造されたデ7071  2004/12/20

冷房化改造中のデ7073    2005/09/18

最初に駅舎(待合室)が改良された庄川口駅  2004/02/01

最後に駅舎(待合室)が改良された越ノ潟駅  2019/08/04

最初に改良された本丸会館前電停    2004/12/30

最後に改良された米島口電停    2011/02/16

ドラえもんトラムが登場初代はMLRV1005         2012/09/19

2017年に改良された新吉久越ノ潟方面電停  2017/07/07

TEKリサイクルセンターに展示保存されたデ5022     2018/10/03

冷房化改造されたデ7075       2021/05/15

獅子舞トラムのMLRV1005   JFEマテリアル       2021/05/15

LIBOOOトラムのMLRV1006   サニーライブグルーブHD    2020/10/06