吉久地区は現在、庄川と小矢部川に挟まれているが今の庄川は1912(大正元)年に流路変更されたもので、それまでは高岡市街地を流れる
千保川が庄川本流で、高岡に幾多の水害をもたらしていた。流路変更により庄川による水害は激減したと言われている。
加賀藩時代は砺波、射水平野の米が水運により庄川・小矢部川の合流地点の吉久に集められていた。吉久には加賀藩の御蔵があり、蔵に集め
られた米は伏木港から大阪などへ運ばれていた。吉久には明治以降も「米商」「蔵仲間」として米穀売買に携わる旧家が多くみられた。御蔵は
町並みの中ほどにある西照寺あたりだと考えられている。
その後、この地区には富山県の豊富な水力発電により、化学、製鋼、パルプ工場が立地し重工業地帯となっていった。ここには対岸の伏木町
を結ぶ、源義経、弁慶由来の如意の渡しがあったが万葉大橋の完成により廃止された。
千本格子の町屋が並ぶ中に陶工房・喫茶「さまのこ屋」があり定期的に絵画・写真などの作品が展示されている。1998年から町並みをアー
トギャラリーにする「さまのこアートinよっさ」毎年10月に開催されている。吉久の獅子舞が「さまのこアートinよっさ」の呼び物となって
いる。最寄り駅は新吉久、吉久。 |