高岡古城公園は、加賀藩二代藩主、前田利長公が高岡城の城址公園。前田利長公は、1609(慶長14)年加賀・越中・能登の3国の中心に
位置する関野に築城家として有名なキリシタン大名、高山右近に縄張り(設計)を行わせ城を築いて、この地を高岡と命名した。命名は詩経「鳳
凰鳴矣于彼高岡」(鳳凰(ほうおう)鳴(な)けり彼(か)の高(たか)き岡(おか)に)からとって名付けたと言われている。
高岡城は1615(元和元)年の一国一城令により廃城となり現在では、僅かの石垣や井戸の跡が残るのみとなっているが、公園面積の約1/3
を占める濠は原形のまま伝えられている。
高岡城址は明治維新後、開墾のため民間に払い下げが決定されたが、当時の区長(市長)であった服部喜十郎らの請願により、1875(明治8)
年に払い下げが取り消され公園に指定された。
古城公園は、高岡市民にとって開祖前田利長公の偉業をしのぶ大切な形見であり、心の故郷となっている。春は桜、夏は緑したたる樹林、秋
は燃えるような紅葉、冬は白銀の静寂さに咲く椿の美しさと、四季それぞれに鮮やかな色彩の変化を見ることのできる全国でも珍しい水濠公園。
古城公園の桜は有名だが、椿も自生のような形で園内各所に繁り、紅い花を咲かせる。植樹された白い椿もあるが、紅葉から桜の季節まで長
期間花を咲かせている。
2009年4月から濠を巡る遊覧船が運航されるようになり、船は利長号と名付けられた。桜開花季や紅葉季には積み残しがでるほど好評な
ため、翌年から2隻となり、2隻目は、利長公を弔うため瑞龍寺を建立した異母弟の三代藩主利常にちなみ利常号と命名された。乗船料金は大
人700円、子供200円、3才以下無料。定員12名で、2名は船頭とガイドのため乗客定員は10名。船上からは、桜や紅葉の他、築城時
の石垣や土塁などを眺めることができる。
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