2018/01/01 更新 万葉線全線乗車レポートPART3 2000年10月7日、長かった残暑もようやく終わり、秋晴れの良い天気になったので久しぶりに全線乗車することにした。越中中川駅近 くの弟の家に車を置き、広小路電停から乗車した。12時7分発の7052号越ノ潟行きに乗ったのは私の他に高校生が3人。車内は座席がほ ぼ埋まっている。 今日は第1土曜日で学校のある日だ。次の志貴野中学校前中学校前でも高校生が乗り込み座席はほぼ満席。いつもこれくらい乗っていれば廃 止問題もないのに。複線区間で7075と行き違い。車庫の様子を見るために米島口で下車した。
車庫にいたのは7062、7073、7074、7076で、7053がドッグ入りして更新検査中だ。運行しているのは7052、706 1、7075、7072、7071、7051。高岡駅前行きの電車が専用軌道から併用区間に出るとき、警報音がなり、道路側の信号が赤に 変わり、電車はノンストップで米島口電停まで進む。そして運転士の交替が行われる。 車庫の電車を一通り撮影した後、いつものように運転事務所で「万葉ふりーきっぷ」を2枚買った。「万葉ふりーきっぷ」は使ったら必ず補 充することにしている。しばらくすると警報音が鳴りネコ電車の7072号が到着した。 次に中新湊行きの7061号が到着、7061は先週は国勢調査の広告を付けていたが、今日は「全国地域安全運動」の広告を取り付けてい る。これはカンバス状の看板で電車の側面に簡単に取り付けられるようになっている。 ヘッドライトの上には車号表示を隠す形で「地域安全号」のシールが貼られている。側面の車号表示も隠れているので看板上部に車号が書か れていた。スポンサーは高岡防犯協会と高岡警察署で10月20日まで走る予定。 米島口電停前で電車を撮影していると加越能バスのノンステップバス第1号車と古くなって観光バスから引退した依託スクールバスが通り過 ぎて行った。バリーアフリー法により、新車は全てノンステップバスとなるらしい。ノンステップバスの購入には、もちろん国からの補助があ る。
7061を見送り、7071高岡駅前行きを撮影して12時45分発の7075越ノ潟行きに乗った。この車両もほぼ満席で半数は高校生だ。 新吉久で7051と行き違い、六渡寺では行き違い待ちで5分間停車。さっき米島口まで乗った7052と行き違い。新湊市役所前では新湊高 校生が乗車。中新湊ではほとんどの乗客が下車した。 建設中のAPAの集合住宅はシートに覆われ全容を見ることはできない。電車はウナリを上げて内川鉄橋前の坂を登る。東新湊で2人下車、 海王丸は乗降0。越ノ潟まで乗ったのは5人で私以外の4人は待っていた県営フェリーに乗り込んだ。越ノ潟では県営フェリー「こしのかた」 と艀(ハシケ)がすれ違う様子を撮影する事ができた。
電車は30分間隔の運転時間帯なので海王丸駅まで歩くことにした。海王町には最近完成した立派なマンション風の市営住宅が建っている。 とやま国体の宿舎に使用された後、本来の市営住宅として使用される。越ノ潟−海王丸の中間地点で7071を撮影し、更に海王丸寄りの越ノ 潟口駅跡を撮影した。海王丸駅には2人の子供を連れた若い夫婦が電車を待っていた。 13時46分に7071号が予想通り乗客なしで到着して乗り込んだ。中新湊では中新湊止まりの7051が停車していた。ここで5人が乗 車、新湊市役所前でも新湊高校生が5人乗車して、車内もけっこう賑やかになった。庄川口は乗降0で通過。万葉線は、こんなケースが多いの でワンマンバスと同じく、降車ボタンを押さなければならない。押すとブザーが鳴り、運転席後の「次とまります」の表示灯が点灯する。但し、 表示灯は暗いので日中は見にくい。 六渡寺で7052と行き違い、乗降無しのため、数秒運転停車。中伏木駅はコスモスが満開で綺麗だった。ここではオリンパスC3000Z OOMを持つた鉄道ファンらしき人が乗り込み、広小路下車したので氷見線を撮影するらしい。吉久も乗降0で通過し新吉久で交換のため停車 1人下車、1人乗車、2分くらい停車して7061と行き違い江尻で数人下車、終点高岡駅前まで乗ったのは4人だった。
万葉線鉄道区間の前身越中鉄道は昭和8年12月25日に新富山−新湊(現六渡寺)間が全線開通した。開通当時は越ノ潟口ではなく、ここが 越ノ潟だった。現在の越ノ潟付近には堀切という駅があった。当時の駅は東から、堀切−越ノ潟−東新湊−中新湊−中学校前−庄川口−新伏木 口(現六渡寺)であった。 中学校前は旧制新湊中学(現:新湊高校)で新町口はなかった。昭和41年に富山新港築港にあたり越ノ潟の港口が切断され、現在の姿になっ た。当時の駅名は、越ノ潟−越ノ潟口−東新湊−新町口−西新湊−庄川口−新湊−中伏木−吉久−新吉久−能町口−米島口−新能町−荻布−旭 ヶ丘−江尻−市民病院前−志貴野中学校前−広小路−高岡市庁前−坂下町−片原町−新高岡となっている。 高岡駅前は開業当時は現在のように右折しないで真っ直ぐ、高岡駅すぐ前まで乗入れ地鉄高岡という駅名だった。広小路は湶町という名前だ った。その昔高岡城の北側は一面葦原だったのでこの名前が付いた。越ノ潟の周りの水田も肩まで漬かる沼地で湶田と呼ばれ田舟を使って農作 業が行わていた。
高岡駅前で後続のイベント電車7051中新湊行きを撮影して、15時7分発の氷見線列車で中川へ戻った。とやま国体も近づいたせいか氷 見線の単行運転はなく、2両編成で運転されているらしい。高岡鉄道部には、いつも日中活躍している単行用キハ53が2両駐まっていた。 15時7分発の列車は福知山から来たキハ581113+キハ283018の国鉄急行色でパノラミックウインドーの車両だった。7番線に 高岡色のキハ58系と縦列停車していた。車内は北陸本線の475系とほとんど同じだった。
発 12:07 12:45 13:35 13:45 14:26 15:05 15:09 駅 広小路 ----→ 米島口 ----→ 越ノ潟 ==== 海王丸 ----→ 高岡駅前 == 高 岡 ----→ 越中中川 7052 7075 徒歩 7071 キハ283018