加賀藩二代藩主前田利長公は、慶長10年(1605年)、家督を弟の利常公に譲り、富山城に移りました。しかし、慶
長14年(1609年)、居城富山城が大火で焼け落ちたために、利長公は、幕府に居城を高岡に移すことを願い出、当時
関野と呼ばれていた高台に新しく城をつくることにしました。設計はキリシタン大名であり、築城の名手として有名な
山右近といわれ、自然の地形をうまく活かして堅固な城を築きました。利長公は詩経の一節からこの地を「高岡」と名付
け、同年9月に高岡城に入城する。その5年後、利長公は死去。城は翌年一国一城令により廃城となる。市街地のほぼ中
心部に21万平方キロメートルの広大な面積をもつ古城公園。3分の1は水濠で、水濠公園としても全国で珍しい存在。
春は桜、秋は紅葉と四季それぞれに公園は鮮やかな色をみせてくれます。中の島は築城当時からあったものではなく明治
40年(1907年)湶町深田地内の民有地を公園に編入してアヤメ池を掘り、中の島を築き植樹を行い現在の中の島を
造成。景観は素晴らしい。公園内には市民会館・市民体育館・博物館・動物園(ペンギン・フラミンゴ・チンパンジーな
どの小動物)等の施設がある。「民部之井戸」高岡城のあった頃、越中の飲料用として数ヶ所に井戸が掘ってあり、その一
つが体育館横(昔、今枝民部の屋敷があった)にある。この井戸はその中でも最も大事なものであったらしく、その後に屋
形を建て今日まで保存されてきた。築城当時をしのぶ貴重な遺跡として保存されている。
自然いっぱいの高岡古城公園は、3つの水濠に囲まれており、その面積は全体(21万u)の3分の1を占める。公園に
は、さくら、カエデ、ヤブツバキなど約34.700本の樹木が繁っている。市の指定花木であるさくらの名所として親し
まれており、「さくら名所百選」に選ばれている。又、トウジ(冬至)コウトウジ(紅冬至)ツキノカツラ(月の桂)カゴシ
マベニ(鹿児島紅)等の梅が3月上旬から開花する。
撮影日:さくら満開日の2013年4月8日 ()内はその他の撮影日
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