最終更新日:2024/03/25 最終取材日:2017/11/06 |
くりから 路線:IRいしかわ鉄道線 石動 ← 倶利伽羅 → 津幡 |
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所在地:石川県河北郡津幡町字刈安レ150 |
倶利伽羅駅舎 |
発車した521系富山行き |
倶利伽羅駅は刈安の集落から500m旧国道8号線から富山寄りの坂 を登った所にある。山の中の小駅で利用者は少ない。北陸本線の倶利伽 羅−石動間は急勾配の難所で、新倶利伽羅トンネルができる1955 (昭和30)年までは石動駅、倶利伽羅駅で後押し用専用のE10形タン ク式蒸気機関車を列車後部に連結していた。その名残か今でも倶利伽羅 駅には本線の両側に機回し用の側線が残っている。富山側にポイントが 無いため、保線用車両の留置線として利用されている。 E10形タンク式蒸気機関車は国鉄最大のタンク式機関車で、戦後の 1948(昭和23)年に製造された急勾配線用の機関車で、奥羽本線板 谷峠、肥薩線矢岳峠、倶利伽羅峠と渡り、倶利伽羅で不要になった後、 1957年に米原−田村間の交直接続に使用された。倶利伽羅で活躍し たのは僅かな期間だった。旧線の倶利伽羅越えでもE10形を必要とす る勾配ではなく、スピードを要求される旅客列車は本務機と同じC57 形やD51形が補機として使用され、E10形は貨物列車専用だったよ うだ。 倶利伽羅駅は石動−津幡間の信号所として1908(明治41)年12 月16日に開設され、翌年の6月15日に駅に昇格した。 旧線の頃は大勢の駅員がいたが、現在は無人駅である。ホームは島式 で、駅舎とは狭い跨線橋で結ばれている。 江戸時代は石川県加賀地方と富山県西部は同じ加賀藩の領地で、他の 県境に比べ人の行き来が多く、普通列車のほとんどが富山−金沢間に設 |
定されており、新潟−富山県境の越中宮崎や石川−福井県境の牛ノ谷、 福井−滋賀県境の新疋田駅に比べ普通列車の本数が多い。 午前中の数時間と深夜を除いて1時間に1本設定されている。ただ し、この駅の乗降客は非常に少ない。2015年3月14日に北陸新幹 線長野−金沢間開業に伴って、IRいしかわ鉄道に移管された。 2017年4月15日から倶利伽羅駅−大聖寺駅間が、ICOCAエ リアとなり、簡易改札機、チャージ機、ICOCA対応飲料自販機が設 置された。 駅舎から金沢側に駐輪場があるが、集落からは長い坂を登って来なけ ればならず置かれている自転車の数は少ない。駐輪場は駅舎から遠く、 訪れた平日には坂を苦にしないバイクが2台と自転車が2台置かれてい た。駅舎入口には昭和初期の懐かしい郵便ポストが立っている。金沢側 に通勤用のパーク&ライド駐車場がある。 駅名の元になった倶利伽羅峠は駅から約3q富山県側、北陸道の旧道 に位置する。ここは源平合戦で、木曽義仲と平維盛の軍が戦った古戦場 として有名で、牛の角に松明(たいまつ)を付けて戦ったと伝えられ、隣 の石動では火牛祭りが行われる。津幡駅には火牛の銅像がある。富山県 側の石動では火牛祭りが開催される。倶利伽羅山の頂上付近には密教の 霊場、倶利迦羅不動寺がある。 毎年春になると参道一帯の約900本の八重桜が咲き誇り、「倶利伽 羅さん八重桜祭り」が開催される。 |
石動駅側からホーム |
通過するEF510-8牽引のコンテナ貨物列車 |
倶利伽羅不動寺から立山連峰 |
旧北陸道倶利伽羅峠 |
ホーム端から石動駅方向 |
ホーム端から津幡駅方向 |
1番ホーム駅名標 |
2番ホーム駅名標 |
柱用駅名標 |
柱用駅名標シール |
駅舎から1番ホーム |
ホーム風除室付近 ワンマン乗車位置は目隠し |
2番ホーム津幡駅方向 |
跨線橋 |
跨線橋から石動駅方向 |
跨線橋から津幡駅方向 |
跨線橋階段前から駅舎への出入口 |
駅舎のホームへの出入口と券売機 |
駅名押しボタンの簡易形券売機 |
駅舎の時刻表 |
駅舎のICOCAチャージ機 |
駅舎の飲料自販機はICOCA対応に変わった |
倶利伽羅不動寺 |
木曾義仲軍の火牛の像と八重桜 |
旧北陸道倶利伽羅峠から富山県側 |
到着する521系金沢行き 2012/10/31 |
到着する419系金沢行き 2001/11/18 |
通過する683系大阪行き 2012/10/31 |
到着する521系富山行き |
発車した521系富山行き |
発車した521系富山行き |
到着する521系金沢行き |
発車した521系富山行き |
到着する413系金沢行き |
到着する521系泊行き |
発車した521系金沢行き |
到着する521系金沢行き |