2020/01/26 更新
 高岡市は、富山県第2の都市で、県西部の中心都市である。加賀藩主前田利長が築いた高岡城の城下町として発展し、高岡城の廃城後は商工
業都市として発展した。伝統工芸の高岡銅器に代表される鋳物の生産が盛んで、豊かな水と電力を背景にアルミニウム工業も発達している。
 「高岡」の地名は『詩経』の一節「鳳凰鳴矣于彼高岡(鳳凰鳴けり彼の高き岡に)」に由来し、前田利長が築城と開町に際して名づけた瑞祥地
名である。私が卒業した高岡市立定塚小学校の校歌は「鳳凰鳴けり高き岡に…」で始まる。高岡の城下町としての期間は1609年から161
5年の僅か6年で、高岡は廃城後に発展した。
 三代藩主前田利常は「高岡の人々の転出を規制し、商業都市への転換を図る」という政策が功を奏したため、高岡は発展の道を辿り、高岡の
“商工業の町”としての歴史が始まっていく。高岡銅器や高岡漆器などもこの頃から始まった。前田利常が兄の利長のために造った瑞龍寺は富山
県下唯一の国宝建造物となっている。
 1889年4月1日に全国30都市と共に市制が施行され日本初の市の一つとして金沢市、富山市とともに高岡市が誕生した。この頃から伏
木港での交易が盛んになってくる。
 高岡市伏木は、越中国の国府があり、746年に国司として大伴家持が赴任し、在任した5年間にとても多くの歌を残した。これは、高岡市
が“万葉の里”と呼ばれる由来であり、現在も行われている高岡万葉まつりのメインイベントである万葉集全20巻朗唱の会にも受け継がれてい
る。2019年12月31日現在の推計人口は170,470人なっている。

高岡駅前

駅前の大伴家持像

 高岡駅は1898(明治31)年11月1日に官営北陸鉄道の駅として現在地に開
業した。当時この地は下関村(しもぜきむら)で周りは水田のみだったが、駅の開業
をきっかけに旅館、料理屋、運送店などが進出し、あたりは大きく姿を変えていっ
た。煙を吐き上げる蒸気機関車は火災の恐れがあり、街の中心へ入れたくないとい
う、日本中どこでもあった理由で町外れの水田の中に駅ができた。
 官営北陸鉄道の開業1年前に黒田−福野間に民営の中越鉄道が開業していたが開
業を待って高岡駅へ乗り入れた。中越鉄道は1898年末に 高岡−伏木間(現氷見
線)を開業し1912年に氷見まで延伸している。
 1925(大正14)年に下関村が高岡市に合併されると駅から旧市街地へかけて
末広町商店街が形成されていった。全ての特急列車が停車していたが2015年3
月14日に北陸新幹線長野−金沢間開業に伴い、北陸本線はあいの風とやま鉄道に
移管された。あいの風とやま鉄道社員が5時30分から23時まで常駐し、JRを
含む乗車券を購入することができる。
 

 万葉集に多くの歌を残した大伴家持は746(天平18)年6月に越中守に任じられ
8月に現在の高岡市伏木古国府にあった越中国庁に着任してから、751(天平勝宝
3)年7月に少納言となって帰京するまでの5年間、越中国に在任した。
 家持の生涯で最大の業績は『万葉集』の編纂に加わったことで全20巻のうち巻1
7〜巻19に自身の歌日記を残した。家持の歌は『万葉集』の全歌数4516首のう
ち473首を占め、万葉歌人中第一位。しかも家持の『万葉集』で確認できる27年
間の歌歴のうち、越中時代5年間の歌数が223首であるのに対し、それ以前の14
年間は158首、以後の8年間は92首となっている。その関係で越中は、畿内に万
葉故地となり、さらに越中万葉歌330首と越中国の歌4首、能登国の歌3首は、越
中の古代を知るうえでのかけがえのない史料となっている。
 高岡をはじめ、富山県下に多くの大伴家持の歌碑が残っている。2009年に完成
した高岡市と射水市を結ぶ万葉大橋の展望デッキにも4首の歌碑が設置された。

 


高岡古城公園 池之端

高岡古城公園 射水神社参道から池之端

 高岡古城公園は3つの水濠に囲まれており、公園の総面積22万m2の約3分の1
が水濠で、水濠公園としても全国的に珍しく人工的な手が加えられていない野趣あ
ふれる自然公園。
  加賀藩は、高岡城廃城後も城の実質的な保全を図ったため、水濠はほとんど築城
時のまま残されている。
 公園には、野趣味あふれた自然が息づき、サクラ、カエデ、スダジイ、ケヤキ、
マツ、ツバキなど多くの樹木が繁っている。

 

 高岡市の指定花木であるさくらの名所として親しまれており、「さくら名所100
選」に選ばれているほか、花見が楽しめる都市公園として、全国的にも高い評価を得
ている。また、水濠は夏でも減水しない水濠で、平成3年から水濠浄化工事が行われ
た。今も、フナやコイなどが棲息しているが、戦後の食糧難の時代に持ち込まれた外
来種のライギョやウシガエル(食用ガエル)、ソウギョも生息している。ライギョは駆
除が行われたため数が減っている。
  高岡古城公園は、日本有数の水濠公園であり、「甦る水100選」や「日本100
名城」にも選ばれている。
 


高岡古城公園 濠を巡る遊覧船「利常号」

高岡古城公園 中の島の紅葉

 以前は南外濠に民営の貸しボートがあったが撤退後は、濠から高岡城趾を眺める
手段は無かった。2009年4月から高岡商工会議所が中心となって遊覧船「利長
号」の運行が開始された。好評なため、2010年4月からは「利常号」が加わっ
た。定員は船頭も含めて12名と少ないが、これは三の丸と本丸を結ぶ朝陽橋をく
ぐれるギリギリの大きさ。
 

 遊覧船の運航期間は3月20日前後から11月末の日曜日までの土・日・祝日運行
で平日は予約制で運行される。ただし、桜まつり期間、ゴールデンウィーク、お盆、
万葉まつり期間、紅葉時期は平日も運航される。運行時間は10時から17時までで
最終便は16時30分発、乗船時間は20分〜25分程度で、乗船料金は大人700
円、小学生以下200円(3才未満無料)
 


高岡古城公園本丸の越中総鎮守一宮 射水神社

射水神社拝殿

 越中国一宮は、射水神社、気多神社、高瀬神社、雄山神社の4社があり、いずれ
も一宮会に入っている。旧社格では、射水神社が国幣中社で一番社格が高い。
 射水神社の御祭神の二上神は約1340年前から越中国を守り続けてきた神であ
り越中では唯一最高の名神大社として崇敬を集めてきた。
 二上神は五穀豊穣、商売繁盛、縁結びなど神徳は広範囲にのぼる。
 

 古来から二上山の麓にあったが明治維新の神仏分離令に従い、寺坊所管の二上を離
れて明治8年9月高岡市古城公園本丸に遷座した。
 社殿は市街地にありながらも喧騒を離れ、市民の憩いの場として親しまれている。
近年では本格的な神前結婚式をあげることができることから「うつくしの杜」として
親しまれている。二上山の麓に二上射水神社が残っている。
 


高岡関野神社

高岡関野神社の祭礼「高岡御車山祭」 片原町の勢揃い

 高岡関野神社は、1604年に射水郡水戸田(射水市)の密蔵寺より分霊して熊野
宮と称したのが始まりで、江戸時代までは加久彌神社・関野神社・高岡神社の3社
を合わせて関野三社と呼ばれていた。
 1806年に関野神社・高岡神社・加久彌神社の三社が現在地に遷座し、同一の
境内で祀られた。明治になって高岡の開祖前田利長が合祀された。例大祭は5月1
日に行われる「高岡御車山祭」
 

 7基の華やかな御車山が巡行する。豊臣秀吉から拝領した御所車を、加賀藩二代藩
主前田利長公が高岡城を築くにあたり、高岡の町民に与えたのが始まり。坂下町交差
点付近を出発し、山町一帯を巡行する。12時頃には片原町交差点に7基の山車が勢
揃いし年番代表が現代の利長、高岡市長に挨拶する。
 前日には宵祭、ライトアップが開催される。宵祭は各山宿にて18時頃から行われ
ライトアップ展示は18時30分〜21時まで行われる。
 


高岡七夕まつりの七夕飾りと万葉線電車 8月1日〜7日

戸出七夕まつりの七夕飾り 7月3日〜7日

 高岡七夕まつりは月遅れの8月7日に行われ、末広町通りには1日から七夕飾り
が並ぶ、この時期七夕飾りと万葉線電車を撮りに全国から鉄道ファンが訪れる。
 8月1日〜7日の土、日曜日は末広町通りが歩行者天国になり多彩なイベントが
行われ、万葉線は17時〜21時まで片原町−高岡駅間が運休となる。高岡市の商業の中心が新高岡駅周辺のロードサイド店に移ったため、年々寂しくなっている。
  

 戸出七夕まつりは7月7日に行われ、7月3日〜7日まで旧北陸道の戸出−中田往
来の狭い通りに七夕飾りと露天商が並び、狭い通りの七夕は賑やかに見える。日が暮
れてから多くの見物客で賑わう。夜のまつりなのでイベントは曜日に関係なく行われ
る。梅雨期間の開催のため、天候に恵まれない場合も多い。旧北陸道の戸出−中田往
来は前田利長の高岡開町前の北陸道のメインルートだった。2017年は、戸出開町
400年にあたり盛大に行われた。


最も大きい土蔵造りの国指定重要文化財菅野家

高岡市土蔵造りのまち資料館

 高岡は「多火岡」と揶揄されるくらい火事が多く、明治33年の大火後に土蔵造
りの建物が多く造られた。
 菅野家住宅は、高岡の土蔵造りの中でも、規模、質、保存状態とも最も優れてお
り1994(平成6)年に国の重要文化財に指定されている。この建物は、壁面は黒
漆喰を塗り、2階には観音開きの防火扉を付け、屋根には大きな箱棟を付ける等高
岡の土蔵造りの特徴を全て備えている。
見学:高校生以上200円
 

 元は高岡でも屈指の商家旧室崎家。どっしりとした外観ながら内部は明るく、贅を
凝らした土蔵づくりの家の特徴をよく伝えている。室崎家は、明治初年にこの地に移
り住み、1945年まで綿布の卸売業を手広く営んでいた。
 室崎氏の転居にあたって高岡市がこの施設を資料館として整備し、2002年4月
から公開している。黒漆喰の壁や防火壁を備えた重厚な造りが印象的。土蔵造りのま
ち資料館では町の形成から土蔵造りの成り立ちについて紹介している。
見学:高校生以上200円
 


鋳物の町金屋町の町並み 鋳物資料館前から

金屋町の登録有形文化財 旧南部鋳造所のキューポラと煙突

 高岡鋳物は、近世初頭の高岡開町にはじまり、最初は鍋・釜・鉄瓶等の日用品や
鋤・くわ等の農耕具などの鉄鋳物を生産していた。その後、江戸中期頃には釣鐘や
灯籠などの銅鋳物が作られるようになった。
 江戸末期頃には、銅器鋳物技術の進展により、仏具や花びんなど日用的で装飾・
鑑賞性の高い製品を産出し、国内はもとより海外にも輸出されるようになり、高岡
を代表する地場産業として今日の発展の礎となっている。
 

 高岡鋳物発祥の地である金屋町には、400年にわたる鋳物産業の歴史を背景に、
由緒ある古文書や初期の鋳造技術を知ることのできる鋳物製品、多種多様な造型・鋳
造道具など、数多くの資料が現存している。
 金屋町の石畳通りにある高岡市鋳物資料館は、これらの貴重な資料を収集・展示し
高岡鋳物の歴史と伝統を紹介する町の小さな博物館。
入館料は高校生以上210円。 一部無料区画あり。
 


金屋町、まちの駅 鉄瓶屋

巨大な銅像高岡大仏

 高岡の銅器は有名だが、鉄の鋳物も沢山作られている。鉄瓶をはじめ、干支の置
物や安価な置物、風鈴などの他、旅館用の鉄鍋など、実用鉄器も生産されている。
 金屋町の石畳通りに鉄瓶、茶釜の専門店「まちの駅 鉄瓶屋」がある。営業時間
は9時30分〜16時30分で定休日は火曜日。

 

 高岡大仏は日本3大仏に数えられ、総高15.85m坐像の高さ7.43mの青銅製
の阿弥陀如来坐像。1221年頃に木製大仏として創建され、その後、幾度かの大火
に見舞われ消失したが、燃えない大仏として、伝統産業高岡銅器の粋を集め、30年
の歳月をかけて1933年に完成した。戦時中の金属類回収令による供出も免れ、市
民を見守っている。(日本3大仏の兵庫大仏は供出された)
 


瑞龍寺国宝山門の阿吽像

瑞龍寺国宝の仏殿

 高岡山瑞龍寺は加賀藩前田家2代藩主であり、高岡の開祖でもある前田利長の菩
提寺として知られる曹洞宗の名刹。3代藩主前田利常によって建立され、造営には
約20年の歳月が費やされ、加賀藩百二十万石の財力を如実に示す江戸初期の典型
的な建造物。
 総門、山門、仏殿、法堂の主要伽藍を一直線上に並べ、禅堂と大庫裡を左右対称
に配置し、この周囲に回廊をめぐらして諸堂を結ぶ禅宗様式の壮大な伽藍配置は豪
壮にて典雅な美しさ。
 

 山門、仏殿、法堂は近世寺院建築の傑作として1997(平成9)年に、富山県内で
唯一の国宝の指定を受けている。総門、禅堂、大庫裏、大茶堂、回廊三棟が重要文化
財として指定されており、江戸初期の禅宗寺院建築として高く評価されている。
 仏殿の屋根は総重量47トンの鉛瓦葺きで、高岡城廃城後の城の代わりをしていた
と言われている。
 拝観は9時〜16時30分まで、12日10日〜1月31日は16時まで、拝観料
は大人500円、中高生200円、小学生100円。ライトアップ時は 当日500円
 


国指定重要文化財 浄土真宗本願寺派勝興寺

富山県指定史跡の越中国分寺跡

 勝興寺は1471(文明3)年に、蓮如が越中砺波郡蟹谷庄土山に創建した土山御
坊が始まりで、火災により何度か焼失後、佐渡にあった順徳天皇御願寺勝興寺の寺
号を相続して勝興寺と称した。1519(永正16)年には安養寺村(小矢部市末友)
に移転した。
 勝興寺は戦国時代、瑞泉寺と並んで越中一向一揆の中心勢力として猛威を振るっ
たが、1581(天正9)年に石黒成綱に焼き討ちされた。1584(天正12)年、
佐々成政が古国府城の土地を越中一向一揆に寄進し、勝興寺が建てられた。加賀藩
時代も前田氏の庇護を受けて境内が整備された。 敷地は土塁・空濠で囲まれてい
て、越中の国府跡という伝承があり境内に越中国府跡の碑がある。
  

勝興寺境内は東を正面とし、総門、唐門を入った敷地南寄りに大規模な本堂が建ち、
北寄りには大広間、書院、台所など寺僧の居住・接客用の建物群が軒を列ねる。近世
建立の堂舎群がまとまって残り、近世寺院の景観を残す点に価値が認められる。
 本堂、総門、唐門、鼓堂、経堂、宝蔵、御霊屋、式台門、広間・式台、台所、書院
・奥書院が国指定重要文化財となっている。
 気多神社から伏木駅へ向かう途中に国分寺という小さな荒れ寺があり、ここが越中
国分寺跡と言われている。
勝興寺は工事修復協力金:高校生以上300円
 
 


越中一宮のひとつ気多神社

高岡市万葉歴史館

 越中国一宮は、射水神社、気多神社、高瀬神社、雄山神社の4社があり、いずれ
も一宮会に入っている。旧社格では、射水神社が国幣中社で一番社格が高い。
 気多神社の所在地は富山県高岡市伏木一宮で、氷見線越中国分駅の南西約800
mのところにある。734(天平4)年に、能登国気多大社から分霊されたとあり、
主祭神は、大己貴命、奴奈加波比売命である。高岡市伏木は、かつて国府や国分寺
が存在した越中国の中心で、境内にも越中国総社跡の伝承地がある。
 越中国内で一宮を称する4社のうちで唯一、所在地名に「一宮」が入っている。
私の高校時代、世界史の先生は気多神社の尾崎宮司だった。
 

 高岡市万葉歴史館は、万葉集の代表的歌人であり編者ともされる大伴家持にちなん
で作られた博物館。かつて大伴家持が政務をとった国庁跡にほど近い、眺望のきく場
所に万葉歴史館がある。「ふるさとの万葉」をテーマに、映像や音で立体的に構成さ
れた常設展や、新しい視点で万葉ロマンを展開する企画展、万葉植物を配した庭園な
どを楽しむことができる。1989(平成元)年の高岡市市制施行百周年を記念する事
業の一環として建設され、翌年10月に開館した。
 開館時間は9時から18時で、11月から3月は17時で閉館する。休館日は火曜
日(祝日の場合は翌日)と12月29日〜1月3日で、入館料は高校生以上210円。
 


JR貨物の高岡貨物駅前から二上山系

二上山系城山園地から小矢部川の蛇行

 二上山系は西から城山(259m)、二上山(274m)、八伏山(179m)の三つの山から
成っている。かつて越中の国司として奈良の都からやってきた大伴家持は、奈良の
二上山(にじょうさん)と同じ名前の山が国庁のすぐ近くにあることに感激し 二上山
(ふたがみやま) を特別の思いを込めて歌に詠んでいる。その二上山は、季節の移ろ
いとともに様々な色合いを見せ多くの人々に親しまれ高岡市内の小学校の遠足コー
スになっている。奈良の二上山も古代には「ふたがみやま」と呼ばれていた。
 

 小矢部川は富山・石川県境の大門山(1572m)に源を発し、全長約68km、流域面
積約667万kuの緩流河川で、いくつもの支流を集め、庄川扇状地の西端を曲流し
ながら富山湾に注いでいる。
 富山県内の河川は扇状地を一気に駆け下りる急流河川が多いが小矢部川は流路の
約70%が平野部を流れ、特に下流部は複雑に蛇行する富山県では珍しい緩流河川。

 


二上山系平和の鐘付近の八重桜

二上山万葉ラインから山側の原生林

 城山園地は二上山系の西端にあり、富山県の代表的山城の守山城本丸があったと
ころ。高岡市はもちろん、射水市、氷見市、富山市岩瀬や砺波の光景まで眺望でき
る展望スポット。桜の名所として有名で、高岡市内の桜は4月上旬が見頃だが、こ
こ城山園地は標高が高いのと、品種が遅咲きの八重桜なので4月末まで桜の花見が
できる。
 

 二上山万葉ラインは山並みを巡る約8kmのドライブコース。国定公園二上山の山
腹を巡り、立山連峰から能登半島までの景観を楽しむことができる。
 道沿いに守山城跡、平和観音像、大伴家持像、仏舎利塔、平和の鐘、万葉植物園、
二上山キャンプ場などの観光スポットも点在している。歩いて訪れると沿道の森林が
すばらしい。 
  


高岡おとぎの森公園 おとぎの森館

高岡おとぎの森公園 ドラえもんの空き地

 高岡おとぎの森公園のシンボル的建物で地下1階地上3階で展望台がある。管理
事務所がある他、地下1階は回廊になっていて森や海の生き物について学べる空間
になっている。1階はアトリウムガーデンで熱帯植物から園芸植物まで展示されて
いる。
 2階は回廊でアトリウムガーデンを上から見渡せる。3階は森の体験施設となっ
ている。北陸新幹線も傍を通るが高い防音壁で良い写真は撮れない。
入場、駐車とも無料で300台駐車可能。
  

 高岡市出身の漫画家「藤子・F・不二雄」の作品ドラえもんに出てくる空き地を再
現した広場で、空き地の土管も再現されている。藤子・F・不二雄氏が高岡に住んで
いた頃は下水道工事が盛んで、市内各所の空き地に下水道用のヒューム管が積まれて
いた。
 撮影した日は猛暑で子供たちは、水遊びができる「かっぱの広場」へ行ったが、い
つもは訪れた子供が「あっ!ドラえもん」と言って真っ先に駆け寄ってくる。
  
  


高岡おとぎの森公園 おとぎの森広場の遊具

高岡おとぎの森公園 バラ園

 おとぎの森広場の一角に巨大な遊具が設置してあり、休日は多くの子供達で賑わ
う。周りには飲料自販機や、付き添いの祖父母が日陰で休めるベンチも設置されて
いる。
 長い滑り台はネットもしてあり子供が落ちないように工夫されている。2001
年に新しい滑り台になってからは坂が急になり、よりスピード感を楽しむことがで
きるようになった。

 大小のバラ、つるバラのアーチなど、60種類を超える品種のバラが育てられてい
る。バラの見ごろの時期は5月、7月、10月だが、積雪期を除いて4月下旬から1
2月上旬まで見ることができる。
 手入れが行き届いており、何処かのバラ園のように萎れた薔薇が残っていて撮影の
邪魔になることはない。公園のHP「薔薇の図鑑」には2017年8月時点で67種
のバラが掲載されている。