2020/01/26 更新
 朝日町は富山県東端の自治体で、泊町はかつて北陸街道(加賀藩往還道)の宿場町として栄えた。1954年に周辺6カ村を合併して朝日町と
なった。2018年1月1日の推計人口は12
,278人となっている2007年10月1日の推計人口は14,046人で
約10年間で12
%減少し、県立高校の再編で泊高校が入善高校に統合されることになった。町は人口減少対策に取り組んでいるが効果は出ていない。あいの風
とやま鉄道の駅は泊駅と越中宮崎駅がある。

 古代、北陸道ではこの河川を境にして、朝廷の使者がここより遠北へと向かう際には、駅馬に乗ることが認められており、北陸道の中国と遠
国とを分かつ重要な地点であった。境川という名前は、古来越中国と越後国の境界とされたことに由来する。
江戸時代になっても境川が加賀藩
と糸魚川藩の境界で境と市振に関所が設けられた。
 このあたりは日本唯一の翡翠の産地で、古代人は翡翠の勾玉を珍重した。翡翠の原石が日本海の荒波により海岸に打ち上げられヒスイ海岸と
呼ばれている。付近にはヒスイの鑑定や加工を行う工房もある。
 宮崎海岸はタラ汁が名物で付近の国道8号線沿いにタラ汁を出す店が並び、タラ汁街道と呼ばれている。たら汁は漁から帰ってくる漁師たち
を、浜で待っていた女房たちが暖かく迎えるために作った料理とされ、現在は、宮崎・境地区の旅館、民宿やドライブインなどで1年中味わう
ことができる。
 境地区の日本海を望む高台に護国寺がある。平安時代に弘法大師によって創建されたと伝えられ、寺の背後の山を利用した庭園は、つつじ、
シャクナゲ
が咲く名園として知られている庭園の上を国道8号線が通っている
観音像前の展望台からは境関所跡を一望することができる。
 境関所は1614(慶長19)年に設けられたものといわれ、加賀藩最大の関所だった。越後に通じる親不知の難所を控え、交通の要所を押さ
えるように国境に設置されたもので、南北朝時代の抗争で、新田氏や名越氏、戦国時代には上杉氏や椎名・佐々氏の武将たちが、国境の攻防に
しのぎを削る合戦の拠点となった。江戸時代には前田氏が新川郡を領有し、境関所を設けた。現在、若者等の創作活動施設「関の館」の前に石
碑、中に歴史資料展示室があり、前には関所庭園が復元されている。
 鹿嶋神社の奥に広がる宮崎鹿島樹叢は、236.6haの範囲にわたり、スダジイ、アカガシ、タブノキ、ヤブツバキ、カラスザンショウ、イ
イギリ等の温暖帯の巨樹がうっそうと茂る原始林で、その広大さと自然のままに保存されている事は富山県内随一で、日本海沿岸における顕著
な暖温性樹叢の北限であり、そのため、国指定の天然記念物として保護されている。
 舟川桜並木は、朝日町最西部を流れる舟川の両岸およそ800mに250本以上の桜が植えられている。白馬連峰と桜とチューリップが同時
に見られる桜の名所となっている。朝日町には他にも見所が沢山ある。最近は菜の花を加え「春の四重奏」としているが桜、チューリップ、菜
の花が同時に揃うことは少ない。(掲載の画像も菜の花は前年のものから合成している)
 2018年10月20日、越中宮崎駅前にヒスイ海岸観光交流拠点施設としてヒスイテラスが完成した。屋上に展望台があり、朝日町での体
験交流のビジターセンターとして利用できる。ヒスイガイドの「ヒスイ恵みの会」からヒスイを含む石探しの指導を受けて、見つけてきた石を
鑑定してもらうこともできる。

あいの風とやま鉄道泊駅

あいの風とやま鉄道越中宮崎駅

焼却場の熱を利用する温泉施設「らくちーの」

舟川べり春の四重奏 朝日岳・桜並木・菜の花畑・チューリップ畑

舟川に仮設の桜見物用の橋から桜並木

舟川左岸堤防道路を走る宇奈月温泉のEMU 一般車両通行禁止

焼却場と温泉施設「らくちーの」の付近

温泉施設「らくちーの」と枝垂れ桜

小川上流の朝日小川ダムと朝日岳

小川上流の朝日小川ダム湖

朝日小川ダムより上流の小川温泉元湯

舟川上流の棚山ため池ファミリーランド

越中宮崎駅側から宮崎漁港

泊駅側から宮崎漁港

直江津行き列車から越中宮崎駅前の「ヒスイテラス」

宮崎ヒスイ海岸

弁慶の伝説がある脇子八幡宮

鹿嶋神社拝殿

鹿嶋神社境内の鹿嶋樹叢

鹿嶋神社付近から電波塔が建つ宮崎城跡

境の護国寺本堂

護国寺の石楠花(しゃくなげ)

護国寺観音像前の展望台から境関所跡

創作活動施設を兼ねた関所資料を展示する「関の館」

越中宮崎駅ホームから国道8号線タラ汁街道

越中宮崎駅ホームから あさひまちバス宮崎・境・市振線泊駅前行き